古い話題で恐縮だが、昨年10月に放送された日本テレビ系「爆笑問題のススメ」で語られた「2ちゃんねる論」。

放送直後から2ちゃんねるで話題になり、2日後に当Blog(当時は「はてなダイアリー」で展開)に要約(「★眞鍋かをり、ひきこもり2ちゃねらーに『やらせてあげましょうよ』」)を載せたところ、いつもの2ちゃんねる「痛いニュース板」などのほかに、普段は縁がない「PC板」などにも転載される。番組内容について、議論が大いに盛り上がった。
当時協力していた「エキサイト・ブログニュース」などを通じて、各個人ブログにも転載された。ネットでの「眞鍋かをり人気」が更に上昇した感じである。

放送当時のVTRを見ながら再現する。2ちゃねらーにとっては、耳の痛い話である。
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2004年10月25日深夜放送、日本テレビ系「爆笑問題のススメ」(制作・STV札幌テレビ放送、IVSテレビ制作)
作家・森村誠一をゲストに迎え「人間の証明のススメ」について語る。

【森村先生にとっての現代の「人間の証明」とは】
森村「これですかね」(「暴力」と書かれたフリップを出す)

田中「”暴力”。はい」
太田「これはいったい、どういうことなんですか」

森村「これはねぇ、証明…としてはですね、マイナスの場面ですね。ただねぇ、もっとも激烈な表現ですね。
だから、動物には出来ない、人間の暴力的な表現というのがあります。
暴力というのは二つに分かれまして、有形の暴力と無形の暴力、
人間の暴力というのはどっちかというと無形の暴力のほうが大きいんですね。”言葉”です。

田中「あ、言葉」
森村「これでもってですね、人間を殺すことも出来るし、二度と立ち上がれない場合もあるし。悪い”証明”なんですねこれは」

【森村先生が受けた最大の”暴力”について】
「人間の証明はドブに咲いた仇花にすぎない」と書いたフリップを出す森村。

田中「誰に言われたんですか」
森村「これはね、『人間の証明』が一番燃えている時にですね、ある大手新聞社の書評欄に載りましたね。
田中「書評欄に!?ひどいですね。新聞の書評欄」

森村「先ほど僕はね、言葉が足りなかったんですが、言葉の暴力は、一対一の表現の場合は、どうってことないんですよ。
要するにね、多数の人間の前で言われた場合に、すごい屈辱になるんですね。
一対一なら相手が憎いと思うだけですけど、こういうことをですね、マスコミで言われると、これはもう、絶対に許せないですね。
トラウマになってます、僕の。現代では、そういう暴力が多いです」

田中「今はだから、それこそ”2ちゃんねる”とかね」
太田「インターネットは多いですね。
一回もう自分の、僕は、もうそれから見ないようにしているんですけど、自分の名前で検索するでしょ。
するとブワーッと出てくるんですよ。これねぇ一ヶ月ぐらい立ち直れないですよ。見てショックで。
何が書いてあったかじゃないんですよ。こんな悪意を俺に持っている人がいるということがもうね、立ち直れないぐらい」

田中「しかも会ったことがないのに」
太田「会ったことがないのに、なんで俺はこいつにこんなに嫌われているんだろう、と思うとね、もう立ち直れないですよ。
で、中にはお前のことの悪口が書いてあるヤツがあるんですよ。それ見たら嬉しくてしょうがない」
田中「なんだそりゃあ」

太田「何が傷つくかってというとね、そのことで(書かれた側が)傷つくってそれほど思ってないんですよね、書いてる人は。
こんなに傷が深いとは思ってない。そのことがまた嫌なんですよ。それこそホント暴力ですよね。(森村「暴力ですね」)
暴力っていう意識がないんですよ、書いてるほうは」
森村「人間の証明として悪いほうは、言葉の暴力というのは最大ですね。動物には絶対ないし」

もう一枚「表現」というフリップを出す森村。
田中「表現」
森村「必ず、人間が一番最初に求めるものは、食欲であり、その次は性欲なんですね。
これは、食欲だけは無人島でも出来るんです。性欲になるとある程度、相手がいないと出来ないことです」

太田「一人でもやろうと思えば…」
田中「いいからそういうことは」
太田「すいません、話の腰を折りまして」
田中「ホントに腰折れてたから」
太田「まぁまぁ」

森村「でもそこまでは、わりに小さなコミュニティでもできますけど、その次に人間が持つのは表現欲なんですよ。どんな人でも。
自分を表現したくなるんですね。それは必ずしも、小説とか絵とか音楽ではなくて、
職場で自分を表現したい、仕事で表現したい、そういう表現欲というのは、必ず出て来るんですね。
どういう表現の仕方をするかというのがその人の”人間の証明”になってくる、と思いますね。

森村「特にこの、こういう、物質文明がどんどんどんどん発展する世の中になると、人間の出番が少なくなるんですよ。
たとえば少し前は、こんなに自動販売機がないし、駅でも駅員さんが切符切ってくれましたね。
今はそういうことは、全部機械がやるでしょ。そういう人たちの証明は、どこ行っちゃったんだろうと。
要するに人間の出番が、少なくなっている」

太田「さっきの話じゃないけど、インターネットでね。その書評じゃないけど、人の悪口とか。
それはある種、なんて言うんですかね、その(書いている)彼ら、どんな奴らか、と思うんですよ。
そうやって一日中パソコンに向かって、人の揚げ足取りだのなんだの、やってる奴らというのは
もしかしたら、表現する場が他に、あまりない人たちかも知れないですよね」

森村「(普段の生活で)認められてないから、パソコンで、インターネットにね、世界に発信すると。無責任に発信するんですね。
だけどもその場合ですね、いい言葉を発表するよりも、悪口(あっこう)のほうが、断然インパクトが強いんですよ。
『グレシャムの法則』というのがありますよね。悪貨は、悪い金は、良い金を駆逐する、という。
これを『グレシャムの法則』と言うんですけどね、悪い言葉のほうが、いい言葉より断然インパクトがあるから、
どうしても、悪口のほうが発信しやすいんですよ。(太田「そうなんですよねぇ」)そこに表現の場を求めているということですね。

太田「それを無意識にやってるじゃないですか。なんかこう、吐き出すような表現じゃないですか」
森村「それはさっきの、精神のマスターベーションですよ」
太田「そうですよね。だからそれをもう一回、表現してるんだ、ってことを、ということを自分できちっと自覚して、
それを形作る、というルールっていうか」

森村「真の表現というのはね、自分の表現に責任を持たなければいけないんですよ。
それをインターネットかなんかでね、悪口を言っている連中というのは、自分の発言に責任を持ってませんね。
責任を持たなきゃいけないですよ。悪口を言うには、論理的にね、なぜなのか、という」

太田「無記名だし、自分が誰だか分からないから、責任も持たなくていい訳だけど、
そこに名前を書くだけで、あるいは自分の正体を晒すだけで、お前そんなこといってるけど、お前はどうなんだと。
逆に傷つく可能性があるから、無責任なことは言えなくなってきますもんね。」

眞鍋かをり「でもそういうところでこうね、ウエーッとやらせといてあげないと、何かかわいそう…な感じじゃないですか。
だって”お外”も出れないし…かわいそうでしょ?」
田中「まぁまぁまぁ、みんながみんなそうではない、そういう人もいるかもしれない。”お外”ね」
眞鍋「(半泣き声で)お外も出れないし…」
太田「かをりちゃん、泣くことはないだろう」
眞鍋「泣いて(ない)…。友達も居ないのにねぇ…ここでだけでやらせてあげましょうよ、ていう」
太田「ここでだけでね…」
田中「今もう『かをりちゃん萌え〜』ってみんな書いているんだろうなぁ」

<了>