sugita

11日発売、杉田かおる著「杉田」(小学館刊)。
構成・文は由井りょう子。杉田の前作「すれっからし」(1999年、小学館刊)も手がけ、女性誌のタレントインタビューや、ドラマのノベライズ本の構成などを担当しているフリーライター、58歳。

杉田の父、八造(70歳、不動産業、神奈川県小田原市在住)に対する恨みと、杉田が入信した、創価学会での活動を反省する書、である。

杉田の両親は、杉田が6歳のときに離婚していたが、父・八造は離婚前から何人もの愛人がおり、離婚後も杉田家に出入りし、母にお金を渡していた。創価学会員でもある八造は、人妻を騙して土地を巻き上げるという、詐欺行為を繰り返していた。

杉田が16、17歳ぐらいの頃。神奈川県・厚木にある寺の土地を狙っていた八造。八造の車に同乗していた杉田、八造が自分がいかに人のためを思って仕事をしているか、などと「詐欺師の妄言」を語る姿に逆上。

八造が持っていた、土地買収用の「見せ金」30万円を、車内から外に投げ捨てた杉田。すると八造が豹変、走行中の車から杉田を突き落とそうとするが未遂に終わる。しかしその後も八造は、度々杉田家を訪れ、馬鹿な母を騙して杉田の実印を持ち出し、杉田名義の借金を増やし続けた。

杉田が26歳の頃、悪徳弁護士とグルになって、杉田に1億円もの負債を肩代わりさせた八造。実の親がこんなひどいことをするのか、と疑いを持った杉田。母に、八造は本当の父なのか、と問いただすと母は「あのお父さんは、本当のお父さんじゃないのよ。本当のお父さんは、全然別の人」と。

杉田が生まれたとき、父と母は結婚していたものの、杉田は、母が不倫相手の男との間に生まれた子だった。八造は子供が作れない体で、愛人は子持ちの人妻ばかりだが、子供はひとりも産ませていない。
(※八造は「女性自身」の取材に「杉田かおるは私の実の娘」と反論している)

著書中盤からは、創価学会への入会から脱会までが、詳細に綴られている。
1980年11月、杉田16歳。映画「青春の門」出演が決まった頃。父が愛人と住んでいた、神奈川県・大井松田の家で学会の「座談会」が開かれ、杉田は入会をはっきり決めた。

芸能人が「広告塔」として活動する「芸術部」に所属し、当時住んでいた東京・品川地区の「高等部女子部」にも所属。同じ年代の仲間に囲まれ、心を許す場所になっていった。

芸術部の重要な行事は、年1回の総会。杉田が初めて参加したのは、1982年、横浜にある学会の会館で開催された総会。総会後の会食は、横浜港に入港していたクイーンエリザベス2世号を見ながら。司会は歌手のK。

会食の席で、学会の最高実力者・池田大作と初対面し感激する杉田に、池田が会食中突然、杉田に「『月の砂漠』を歌いなさい」と指名。フォーク歌手のTがピアノの伴奏をするが、緊張して声が上ずる杉田。「へたくそだねぇ」と何度も歌いなおしを命ずる池田。しかし、池田に傾倒していた杉田は「息苦しいまでに幸せだった」と。

「転教(てんきょう)」という、全国で学会の布教活動にいそしむグループに入った杉田。全国各地での講演が生活の中心に。16歳のときに買わされた土地が、バブル景気で高騰し、24歳の時には「長者番付」に載るほどまでに。

「悲惨な生い立ちだったが信仰で成功者に」という、学会本部が作った台本に違和感を覚えながらも、全国の学会員が待っていてくれる、と思い布教活動に深入りする杉田。女優としての仕事は激減したが、忙しい毎日だった。

地方への交通費や宿泊代は、学会が出してくれたが、日当などはなく、すべて自分の持ち出しだった。芸術部所属ということで、一般の会員より丁重に扱われていたが、本部の上層部の人間は違った。

広報機関紙の記者が取材にかこつけて「今から会いませんか」と誘ってきたり、酒席でセクハラまがいのことを強要されたり。酒席でハメを外している、最高幹部に疑問や不信感をいだいた。

1984年1月、成人式を迎え芸術部幹部から「いよいよ戦えるね」と言われた杉田。選挙権を持ち、選挙で戦う、という意味。杉田が生まれた年、1964年に旗揚げした「公明党」の選挙活動。

翌年6月に行われた東京都議会議員選挙では、女優のKとともに、応援演説で都内を走り回った。立派な学会の「広告塔」になり、普段でも勧誘に励むようになった。劇場やテレビ局の楽屋に芸能人を訪ね、粘り強く勧誘した。

1985年。教団機関紙(聖教新聞)発行元を、アメリカ大使館の一行が親善訪問する、というイベントに駆り出された杉田。

最高指導者・池田大作を囲む食事会の席で、デザートにメロンが出た。
「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」という池田。ひとさじすくって口に入れたあと「みんなにも食べさせてあげたい」と言い、食べかけのメロンを隣の席の人に。同じスプーンですくって食べ、また隣の人に。

気持ち悪さが襲ったが、ついにメロンが杉田の前へ。ほとんど食べ尽くされていたが、覚悟を決めてメロンを飲み込んだ。「お下げ渡し」と称した最高指導者の行為に、不信感をいだいた。

学会には、年に一度の「献金の日」というのがあるが、年金生活者や生活保護を受けている人からも集金する、という行為に疑問を持った。杉田自身は、集金活動には参加せず済んだ。

杉田が生まれる前から学会信者の父は、教団を利用して、信者から金や土地を騙し取っていた。そんな父を見て、信仰を見直したい、と思った杉田は、学会から物理的に距離を置くべきだと思い、24歳の時、思い出のしみついた品川を離れ、東京・多摩市の聖蹟桜ヶ丘に転居。
その後30歳になった時、東京・八王子に移った。

1991年に起こった、創価学会の宗門(日蓮正宗大石寺)に対する誹謗中傷事件。宗門は11月、学会に対し「破門」を申し付けた。学会ではなく日蓮正宗の思想に共感していた杉田は、学会を脱会することにした。

ある女優からは「あんたが熱心に家までやってきて誘ったから、私は入ったのよ。なのに自分はやめちゃって。どうしてくれるのよ、この裏切り者」と言われ、芸術部員の女優Kや、歌手のYが自宅に押しかけてきた。

母に「御本尊を見せてください」と迫り、来客中だったので母が断ると、それまでのにこやかな態度が一変して、力づくで玄関のドアを開けて、中に入ろうとする女性たち。鍵を閉めても、彼女らはなかなか帰ろうとしなかった。

彼女らが見せてほしいと言った「本尊」とは、「日蓮大聖人の御本尊」だが、日蓮正宗から破門されて使えなくなった。苦肉の策として学会は、約280年ほど前の26世日寛上人が書写した御本尊を印刷して配布。どちらの御本尊を祀っているか、チェックしに来たのだ。

杉田より少し前に学会を脱会していた、杉田と年齢が近い女優のK・Uも、日本から離れてアメリカ・ロサンゼルスに滞在していたら、学会の海外支部の人たちに軟禁状態にされ「なんで教団をやめたんだ」「戻ってこい」と説得され、とても怖かったと教えてくれた、とのこと。

杉田は結果として、すんなり学会から離れることができたのは、学会の「黒幕」と懇意にしていたから、という記述も。

「黒幕」とは、以前から家族ぐるみのつきあい。1989年、横浜で起こった「金庫事件」(横浜の廃棄物処理場で、2億円近いカネが入った古金庫が廃棄されていたが、所有者は教団幹部だった)のシナリオを書いた、ともいわれる人物。その「黒幕」が、「杉田の家族を守るように」という通達を出してくれていたから、だそうだ。

その後「黒幕」とも訣別し、テレビの仕事を増やす。テレビに姿を晒す、ということは人目につく、ということ。人目につくのは、身を守る最上の方法だと思う、と。

締めは、昨年8月に杉田が挑戦した日本テレビ「24時間マラソン」の裏話と、結婚生活について。「幸せに包まれて、この魂の記録を書きついだ」と。
「宗教に限らず、さまざまな思想や教えにマインドコントロールされて、本来の自分を取り戻すために苦しんでいる人たちに、なんらかの参考にしていただければと思っている。」と結ぶ。

***
学会に「洗脳」されてから「脱会」を決めるまでの記述が生々しい。「創価学会」という実名は一度も登場しないのだが、巨大宗教団体の「暗部」が垣間見えて興味深く読んだ。
この本に対し、学会からのアクションがあるかどうか分からないが、末端の信者や、入会を考えている人にはぜひ読んでもらいたいような気がする。